大田堯・寺脇研が戦後教育を語り合う

この国の教育はどこへ向かうのか

大田 堯・寺脇 研 著
四六判 224ページ 定価(本体1,600円+税)
ISBN978-4-7619-2041-8
その他一般
教育学研究のレジェンド・大田堯と、ミスター文部省・寺脇研の異色の対談が実現! 2人がそれぞれに見てきた戦後教育を語り尽くし、現在進行中の「教育再生」諸政策に警鐘を鳴らす。そして、2人が描く教育の未来とは。

目次

はじめに
第1章 この国の教育は、どこへ向かおうとしているのか
  □安倍教育改革のねらいは何か
思うように育てるのが教育ではない
今は「早春賦」の時代
1945年、確かに教育には曙の光があった
  □教育委員会制度改革で何が変わるのか
戦後、「社会科」ができたときの驚き
本来は教育委員会をコミュニティに戻すべき
「保護」が「管理」に、「提供」が「同化」にならないように
  □全国一斉学力テストがもたらすもの
学力テストは軍部が始めたもの
画一な人間形成を求める日本の思想性
「ゆとり教育」と「学力テスト」
日教組と「学力テスト」
土曜授業復活の裏にあるもの
「学力テスト」をめぐって起こる容易ならざる問題
  □教科書問題を論じる
教科書は「お手本」から「参考書」に
検定制度ができた当時の教科書は、自らを「不十分」と言っていた
道徳の教科化は、「修身」からつながっているのか
ヨーロッパでは日本と違い、内面の問題に関して神経質
第2章 日本の教育史上の「ゆとり教育」の位置づけ
  □「ゆとり教育」の源流
明治時代の中央集権制には必然性があったが
「ゆとり教育」の芽は大正デモクラシーにあった
問いと答えの間(ま)に教育の本質を見る
「教育はアートである」という考え方
「ゆとり教育」はその歴史的根拠を見る必要がある
第3章 日教組と文部省の歴史
  □教育計画は対立からは生まれない
戦後の民主主義教育研究と組合運動
日教組が自主研究の精神を失ってはいけない
  □多くの悲劇を生んだ国旗・国歌問題
国旗国歌法がもたらしたもの
組合と教育委員会の間で板挟み状態にあった校長
力のある校長こそ課題の多い高校に
教育長が組合と話さないでいいのか
組合の協力も得て解決した「自殺予告事件」
教育委員会が功を焦って生まれた悲劇
  □国旗・国歌が侵略のシンボルとして使われた事実
内面支配は外面支配よりもタチが悪い
国内でも行われた内面支配
「いのち」「子どもと人間」という考えが抜け落ちていた
戦争と国旗・国歌のことは、発達段階に応じて教える必要がある
「良心の自由」をあくまでも最優先すべき
第4章 「公共」を教育の中でどう考えるか
  □「シティズンシップ」を育てるための「ゆとり」
「どうなるか」ではなく、「どうするか」を考えられる教育を
  □地域の教育力をどのように生かしていくか
子どもは社会的・文化的胎盤の中に生まれる
子どもは親の私物ではなく、社会全体のもの
教科の名前に初めて「人間」が登場した「産業社会と人間」
「子ども手当」に所得制限が不必要だと考えた理由
地域は至るところにあり、広がりをもつもの
五感と五感が触れ合うのがコミュニティ
  □教育にまで経済至上主義が蔓延している
お金が私たちの内面を支配している
「雇用」の主語は企業だが、「就業」の主語は個人
「一人前」になるということを念頭に置く
「権利」を「当たり前」に変えてみると見えてくるもの
学校内で使役動詞が盛んに使われるわけ
第5章 「教育」を「学習」から考える
  □まず「学習」あっての教育
第一次安倍政権でなされた教育基本法改定が意味するもの
「学び」とは何ぞや、そこにもっとメスを
「生命」にもっとモノ・カネを正しく使うべき
  □生命の特徴から考える教育
情報代謝という考えで「学び」をとらえる
相手の生命力と呼応することで「教育」も成り立つ
  □「教育」は最高のアート
教育はアート、つまりは芸術
学習は「呼吸」と同じ生存権の一部
補章 今、日本の教育に残しておきたい言葉
  □矛盾に折り合いをつけながら学ぶのが「学習」
子どもには選べないものが三つある
「人材養成」という言葉に隠されたもの
教育基本法の改定は憲法違反であった
  □学力というものは生命力である
生命は数字でははかれない
学習の本質は、やはり啄木の歌にある
あとがき

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