この連載について
高校教育を取り巻く状況が大きく変わっています。そうした中、この先、どうやって魅力ある、特色ある高校に変わっていったらよいのか。中教審委員なども歴任し、高校教育界を牽引する田村知子さんと岡本尚也さん、お二方と共に「探究」していきます。
※本連載は田村さん、岡本さんに隔月交代でご執筆いただきます。

この連載について
高校教育を取り巻く状況が大きく変わっています。そうした中、この先、どうやって魅力ある、特色ある高校に変わっていったらよいのか。中教審委員なども歴任し、高校教育界を牽引する田村知子さんと岡本尚也さん、お二方と共に「探究」していきます。
※本連載は田村さん、岡本さんに隔月交代でご執筆いただきます。
第1回は、教育基本法から生徒エージェンシーを考えました。今回は、ウェルビーイングの観点と関連づけて論じます。というのも、2023年6月に閣議決定された教育振興基本計画(以下「基本計画」)のコンセプトに「持続可能な社会の創り手の育成」及び「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」が掲げられ、今後、活発な議論が繰り広げられると考えられるからです。
ウェルビーイングは「身体的・精神的・社会的に良い状態にあること。短期的な幸福のみならず、生きがいや人生の意義など将来にわたる持続的な幸福を含む概念」とされています*1。また、個人のみならず、個人を取り巻く場や地域、社会が持続的に良い状態であることを含む包括的な概念です。
ウェルビーイングはGDPに代わる指標として世界的に注目され、経済協力開発機構(OECD)の「ラーニング・コンパス2030」では、個人と社会のウェルビーイングは「私たちの望む未来(Future We Want)」であり、社会のウェルビーイングは共通の「目的地」とされています。
上述のように、OECDや国によってウェルビーイングが提唱されたわけですが、私が今回主張したいことは、自分自身でウェルビーイングの定義をし続け、つかみ取ろうとする態度や能力の育成やその機会の確保の重要性です。溝上慎一氏はウェルビーイングを「主観的に良しと評価する自身のライフを過ごしている状態」と定義しています。ここでの「ライフ」とは「日々の生活と人生を一括りに」とらえた言葉として使われています*2。このように考えれば、ウェルビーイングは私たちの人権のひとつです(日本国憲法第13条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」)。そして、何がウェルビーイングなのか、という問いの答えには、本質的に私たちの主観が反映されます。だからこそ、他者(法律や答申を含む)から決められ与えられた「権威ある」ウェルビーイングを「与える/与えられる」ことに留まりたくないと思うのです。
そこで、ウェルビーイングを考えるために、①時間軸(将来/現在)、②対象軸(個人/社会)をクロスさせた以下の図を作成してみました。

A「将来」×「個人」
この象限は、学校や教師(または大人たち)の基本的な視座でしょう。未来に生きる子どもたちがより良い人生を送るために必要と考えられるさまざまな知識や能力を培うべく、学校の教育目標にも掲げられてきました。「基本計画」でも、個人のウェルビーイングを「支える要素」として、学力、学習環境、家庭環境、地域とのつながり、社会情動的スキルやいわゆる非認知能力の育成が挙げられています。
B「将来」×「社会」
教育は、個人のためだけにあるのではなく、社会や国家の維持・発展に果たす役割も常に期待されてきました。個人にとっても、生きる社会が持続可能でより良いものであることは大切なことです。そこで、社会の形成者の一人として必要と思われる市民性なども学校の教育目標に掲げられてきました。
C「現在」×「個人」
従来は(特に受験での成功を強く意識する場合)、よりよい将来の人生、成功のためには、今を犠牲にしてでも我慢して努力することが強調されることが多かったように思います。ひいては、それが児童生徒の自尊感情の低さや不登校の一因とさえなってきました。
D「現在」×「社会(や周りの人々)」
今次「基本計画」に示された「日本社会に根ざしたウェルビーイング」は、内田由紀子氏の文化的幸福観研究の成果が反映され、「ウェルビーイングの獲得的要素と協調的要素を調和的・一体的に育む日本発」の「調和と協調(Balance and Harmony)」に基づくウェルビーイングの考え方が提起されています*3。ただし、もともと同調圧力が高い日本社会においては、これを過度に強調することは控えた方がいいかもしれません。「基本計画」も「組織や社会を優先して個人のウェルビーイングを犠牲にするのではなく、個人の幸せがまず尊重されるという前提に立つことが必要」と述べています。
保護者も教職員も生徒たちのウェルビーイングを願い、自分自身の経験知や理論知から何が生徒たちの幸せか、ウェルビーイングか、について考えてきました。しかし、特に「今ここ」のウェルビーイング(図の象限C・D)については、当事者である生徒自身の願いを引き出し、「今ここ」のウェルビーイングを自らの手でつくりだす経験をさせてみてはいかがでしょうか。もちろん、思春期の生徒たちの心からの願いを聴きだすのはそれほど簡単ではないでしょう。また、刹那的・享楽的な楽しみしか思い浮かばない生徒もいるかもしれません。しかし、生徒たちが、自分自身の状態や自分を取り巻く環境を、自分で、あるいは周囲の仲間や大人たちと一緒に創り出す努力を経験させることが有用だと考えられます。
高知県の太平洋学園高等学校は定時制課程と通信制課程を併設する私立学校です。この学校のカリキュラムや仕組みは、さまざまな工夫と配慮に満ちていますが、今回は、三者協議会を取り上げます。年に2回、生徒(生徒会役員と有志の生徒)、教員、保護者有志が一同に会し、授業や学校行事、校内の決まり事などを率直に話し合う会です。同校に通う生徒たちの中には、これまでの学校生活で傷ついたり苦しい時期を過ごしたりした経験をもつ者が多くいます。しかし、生徒たちは、この学校に通う過程で、自分にとって何が大切なのか、何が嫌なことなのか、といったことを語り、自分自身と周りの生徒たちにとって、どのような授業や学校がより良いのかを深く考え話すようになります。数人の生徒たちと懇談する機会をいただきましたが、彼らの言葉からは、自信、意欲、自分の好きなこと・やりたいこと、将来への展望、他者への配慮などが伝わってきました。もっとも印象的だったのは、彼らが先生方について(尋ねてもいないのに)「話しやすい」「安心して相談できる」「理解がある」などと語ったことでした。先生方への厚い信頼こそが、生徒がウェルビーイングを自ら追求できる基盤なのだと実感しました*4。
今回は詳述できませんでしたが、教職員のウェルビーイングを追求することも重要です。子どもも教職員も関係者も、自分自身と社会のウェルビーイングという価値を自分自身の言葉で紡ぎ、自分自身の学びと生活の中で追求するプロセスを実現し、その中で価値観とスキルを育て上げていくことができるような学校にするにはどうすればよいのでしょうか。「予測不可能」といわれる時代だからこそ、ヴィジョンを磨き続けたいものです。次回は、高等学校におけるヴィジョンと深く関わるスクール・ポリシーについて取り上げます。


