この連載について
この連載では、広く、学校で働く教職員、保護者、地域の皆様に向けて、2022年12月に改訂された『生徒指導提要』や、国の施策、国立教育政策研究所生徒指導・進路指導研究センターで行っている調査研究などをもとに、生徒指導の基礎・基本をご紹介していきます。特に、2025年1月からは、いじめや不登校などの生徒指導上の諸課題をテーマに連載をします。
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この連載について
この連載では、広く、学校で働く教職員、保護者、地域の皆様に向けて、2022年12月に改訂された『生徒指導提要』や、国の施策、国立教育政策研究所生徒指導・進路指導研究センターで行っている調査研究などをもとに、生徒指導の基礎・基本をご紹介していきます。特に、2025年1月からは、いじめや不登校などの生徒指導上の諸課題をテーマに連載をします。
いじめは、かねてから学校にあり続け、その行為は人権侵害に関わり、その結果は場合によっては、相手に短期的だけでなく、中長期的にマイナスの影響(例えば、メンタルヘルスや行動上の問題、PTSD等)を与え続けるものです。いじめが社会問題化したのは1980年代といわれ、国の調査としては、当時の文部省により1985年度から開始されています*1。国の調査上のいじめの定義がどのように変化してきたかについては、文部科学省のホームページから確認することができます*2。かつてのいじめの定義には、「自分より弱いもの」、「一方的」、「継続的」に攻撃を加えること、相手が「深刻な苦痛」を感じているといった文言が入っていました。それでは、現在のいじめはどのように定義されているのでしょうか。
現在のいじめの定義は、2013年の6月に成立し、同年9月に施行されたいじめ防止対策推進法第2条第1項に規定されています。
いじめ防止対策推進法第2条第1項(下線筆者)
「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
法の定義からは、下線で示した3つの要件があることを確認できます。つまり、いじめとは、何かしらの人間関係のある間柄(例えば、同じ学級・学年の同級生、同じ部活動の部員等)で起きるもので、あらゆる行為類型を含み、対象児童生徒が被害感情を有しているものを意味します。また、現在の定義では、いじめをする者とされる者との力のアンバランス(強いか弱いか)、その行為が一方的であり、継続的であること、そして、被害感情が深刻なものであるかどうかは、問うていません。社会通念上、多くの人に連想されやすい一方的かつ継続的ないじめは、もちろん、法で定義されるいじめに該当するものですが、それ以上に、法令上のいじめの概念は、より広範なものになっていることに留意が必要です。

この法的に拡大したいじめについて、学校や教育委員会は積極的に認知することが求められています。文部科学省は、いじめの認知件数が多い学校について、「いじめを初期段階のものも含めて積極的に認知し、その解消に向けた取組のスタートラインに立っている」*3と肯定的に評価するとしており、また、「いじめの認知件数が多いことは教職員の目が行き届いていることのあかし」*4としています。
いじめ防止対策推進法のもと、上記のようないじめの認知に対する評価の転換がはかられ、それが徐々に学校や教育委員会に浸透し、いじめの認知件数は上昇してきたと捉えることができます。2024年10月に発表された「令和5年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」のいじめの認知件数の推移は以下の通りです。最近の傾向として、特に小学校でいじめの認知が多くなされるようになったといえます。

いじめ防止対策推進法を受けて、文部科学省は「いじめの防止等のための基本的な方針」(以下「国の基本方針」とする。)を策定しました(2013年策定、2017年改定)*5。この「国の基本方針」は、いじめの防止や早期発見、対処といったいじめにかかる対策を総合的かつ効果的に推進するために策定した国のスタンダードであり、ガイドラインです。
いじめの認知は、いじめ防止対策推進法第22条によって全ての学校に必置とされた「学校いじめ対策組織」で行うこととされています。つまり、教師は単独でいじめであるかどうかを判断してはならず、かならず「組織」のメンバーと情報共有して、「組織」でいじめであるかどうかを判断することになります。
なぜ、いじめであるかどうかをわざわざ組織で判断しなければならないのでしょうか。大人側からすると、児童生徒同士のけんかやふざけ合いに見える行為(1回限りであったとしても)であっても、被害が発生している場合があります。また、決して悪意がなかったとしても(むしろ好意で行った場合でも)、意図せずに相手側に心身の苦痛を感じさせてしまう場合もあります。これらも「いじめの芽」として、「組織」で情報共有し、対応する対象となりますが、こういった事案をいじめと呼ぶには違和感を持たれる方も多いかもしれません。事案によっては、児童生徒への指導の時に、わざわざそれをいじめと位置付けて指導する必要は必ずしもありません。大人側からすると一見些細に見える事案も「組織」で共有するその心は何かといえば、児童生徒のトラブル全般を意味することとなった法令上のいじめについて(いわゆるハラスメント)、それが深刻化する前に、共有し、皆で見とりながら、対応をしていくことを趣旨としたものといえます。
いじめは「組織」で情報共有し、対応等をするとしても、最初のいじめの認知の端緒は、やはり教師一人一人の気付きが重要になることは間違いありません。時に、児童生徒は自分の受けている被害を隠し、「何でもない」「大丈夫」「自分も楽しんでいる」と装うかもしれません。アンバランスな人間関係や、児童生徒の笑顔の背景にある苦悩に、鋭敏になれる感性が、教師や保護者だけでなく、我々大人全体に、どうしても求められます。


