2026.04.15

第13回 SNSのいじめ動画拡散から考える 子どもたちにとって「相談」とは何か|Web月刊高校教育 深掘り!高校教師が知っておきたい最新教育ニュース

この連載について

現代は「予測困難な時代」と呼ばれて久しいですが、学校教育を取り巻く状況も複雑化し、大小さまざまな変革が起こっています。本連載ではその中でも、高等学校の教職員に特化した教育ニュースを、報道だけでは見えてこない側面にもスポットを当てつつご紹介します! 教育現場の最前線に立つ教職員のみなさまにとって、お役に立つことはもちろん、今話題の・これから要注目になるであろう最新ニュースをお届けします。

「学校に相談すればよい」は、もはや前提ではない 

 いじめの様子を撮影した動画がSNS上で拡散され、「正義の告発」か「不適切な私的制裁」かが議論になる事案が目立っています*1*2

 教育現場における従来のいじめ対応は、まず学校(教員)に相談するというルートが想定されてきました。しかし現実にはその経路が選ばれず、いきなり“晒す”という手段が取られ始めています。それがよくないことであるのは、生徒たちも頭では分かっているはず。だとすると重要なのは、「よくない」と知りながら、なぜやってしまうのかです。

 この原因を「教師が信頼されていないから」と指摘する声はありますし、それについての議論も確かに必要でしょう。しかし私は、簡単に「教員の信用度(だけ)の問題」として片付けるべきではないと感じます。子どもたちにとって「相談する」という行為がどう見えているのか、そこを考える必要があると思うのです。

「見えない場所で処理される」ことへの不安

 前提として、学校への相談は非公開で進むことが多いです。事実確認や関係者への聞き取り、指導の内容などが明かされないのは、プライバシー保護の観点からもまっとうな対応だと思います。

 しかし生徒の視点で考えれば、このプロセスは「自分たちの見えない場所で何かが進んでいる」という側面も否定できません。何が起きているのか、対応が進んでいるのか・止まっているのかも分からず、場合によっては、加害側に情報が伝わり、状況が悪化するのではないかという不安も生まれます。

 つまり、相談という行為は、生徒にとって解決手段であると同時に、「問題解決のコントロールを手放す行為」にもなり得るのです。この不確実性が、子どもたちに不安を抱かせていると考えられないでしょうか。

可視化されない対応は「何もしていない」と映る

 実際には学校側が丁寧に対応していたとしても、その過程が見えなければ「何もしていない」と受け取られてしまいかねません。生徒の実感としては「自分たちに関係のあることなのに、蚊帳の外に置かれている」「学校が勝手に幕引きを図ろうとしている」という密室化の印象を持ちやすいでしょう。

 いじめに限らず、子どもたちの知らないところで問題の対応が進み、すべてが終わってから「こうなりました」と結論だけ示したり、質問しても「きみたちが知らなくてもいいこと」と取り付く島もなかったり。その経験が積み重なると、「相談しても自分の意見は反映されない」という認識が形成されやすくなります。いわゆる“ずるい大人”のイメージですね。

 これは「人は自律性が阻害されると不安や不満が生じる」とした、「自己決定理論」にも通じる心理です。

 

成果よりも、プロセスの不透明さが不安を招いている 

 いじめ防止対策推進法(2013)では、事実関係の調査や被害者保護、再発防止などを義務付けていますが、調査内容の公開範囲については規定が明確ではありません。また、プライバシー保護が必要な一方で、文科省は「保護者や関係者に対して適切に説明を行うことが重要」としています。つまり制度上は、開示制限(守秘)と説明義務(透明性)が同時に要求されるという、難しい舵取りになっているのです。

 結果として、これがプロセスの不透明さを招いて不信感を増幅させます。そして、SNSでの晒しを、単なる告発ではなく「主体的に変化を起こす手段」として機能させてしまうのかもしれません。

 相談は基本的に「誰かに委ねる」行為ですが、晒しは「自分で状況を動かす」行為です。子どもたちは、必ずしも無謀に行動しているわけではなく、自分が置かれている状況の中で、より確実に状況を変えられるかを考えた結果として、ネット公開という手段を選んでいるとも考えられます。

隠す前提ではなく、どこまでなら共有できるかで発想する

 こうした状況をふまえると、課題は「教師の信頼を高めること」だけでは捉えきれません。「対応のプロセスをどう設計するか」が重要になります。

 どの段階で何をしているのかを可能な範囲で共有すること。最終的な結論だけでなく途中経過を伝えること。初動の反応をできるだけ早く示すこと。こうした工夫によって、生徒たちが抱く「部外者扱いされている」「学校の対応は不十分」という認識を和らげることができるでしょう。

 もちろん、すべてを公開することは不可能ですし、プライバシー保護など、正当な目的に基づく限定的な情報制限は許容されるべきです。しかし、少なくとも「生徒が知る必要はない」という一律的対応は、好ましくありません。子どもの権利条約における「知る権利」や「意見を表明する権利」とも整合しない可能性があります。つまり、隠す前提ではなく、「どこまでなら共有できるか」という前提の設計が必要だということです。

「相談」という行為をどう再設計するか

 仮に、生徒が問題解決の手段として晒しを選ぶ理由が、「可視化される」「即時に反応が起きる」「自分でコントロールできる」だとすると、それに近い条件を満たすことができれば、「相談」でも同じ機能が得られるということになります。

 すべてを共有できなくても、「これから何が起きるのか」「どんな手順で進むのか」「どこまであなたに伝えられるのか」を最初に説明するだけで、かなり違うはずです。医療におけるインフォームド・コンセントに近い発想と言えます。

 これまでの相談は「教師に問題を預け、解決を待つ」構造になりがちでした。しかし生徒たちは、そのプロセスに自分が関与できないことに不安を抱きます。その視点に立ち返ることが、SNS時代の生徒指導を考え直す出発点になるのではないでしょうか。

 


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