2026.05.20

第14回 私大4割削減案と「Fラン不要論」 改めて高校の進路指導を考える|Web月刊高校教育 深掘り!高校教師が知っておきたい最新教育ニュース

この連載について

現代は「予測困難な時代」と呼ばれて久しいですが、学校教育を取り巻く状況も複雑化し、大小さまざまな変革が起こっています。本連載ではその中でも、高等学校の教職員に特化した教育ニュースを、報道だけでは見えてこない側面にもスポットを当てつつご紹介します! 教育現場の最前線に立つ教職員のみなさまにとって、お役に立つことはもちろん、今話題の・これから要注目になるであろう最新ニュースをお届けします。

Fラン不要論と高校の進路指導の現状を考えてみよう

 私立大学の再編をめぐる議論が活発になっています。財務省が私立大学の数を4割削減する案を示した*1ことを契機に、ネット世論を中心にいわゆる「Fラン大学不要論」まで出てきました。四則演算やbe動詞もおぼつかないような学生のいる大学なんて、なくしてしまえという主張です。

 もともと「Fラン」という言葉は、不合格になる受験生があまりおらず、偏差値算出ができない「Border Free」に由来しますが、拡大解釈が進み、入試難易度(偏差値)の低い大学群や知名度の低い大学群全般を指す蔑称のように用いられているのが現状です。

 私個人は、大学の規模の適正化は議論すべきだとしても、偏差値や知名度だけでその軸を考えたり、大学の存在価値と同一視したりするのは適切ではないという立場です。そもそもこの「Fラン」という表現も好きではありません。ただ、削減の是非とはまた別に、なぜ「Fラン」を軽く扱う風潮が生まれたのか、そこに高校での進路指導の影響がなかったかは、謙虚に考えてみる価値があると思います。

偏差値で語る進路観は、どこから来たのか

 高校の進路指導において、偏差値は長く重要な指標として機能してきました。限られた時間の中で進路選択を支援するためには、一定の尺度が必要であり、学力を基準とした序列は合理的と言えます。

 また、大学入試そのものが競争的な構造を持つ以上、「どのレベルの大学に合格したか」は、学校にとっても、生徒にとっても分かりやすい成果です。進学実績として可視化され、外部から評価される指標である以上、それを無視することは現実的ではありません。

 その意味で、偏差値を軸に進路を語る文化は、制度と社会の要請の中で形成されてきた側面があると言えるでしょう。

大学教育は選抜装置か、社会を支える基盤か

 ただ、偏差値が大学評価の一つの基準となる側面は否めないにしても、そこで低位に当たる大学は不要だというのは暴論です。OECD(経済協力開発機構)も、高等教育(大学)へのアクセスは社会的包摂に寄与するとの見解を述べています。学力が高くない層にも高等教育の機会を提供すること自体に価値があるという意味です。

 さらに見落とされがちなのが、地方大学や小規模大学の役割です。こうした大学は、必ずしも全国的な偏差値競争の上位に位置するわけではありませんが、地域に根ざした人材育成や、地元産業との連携、ニッチでも専門性の高い研究分野などを通じて、社会インフラの役割を果たしてきました。仮に「偏差値が低い」という理由だけでその存在価値を否定してしまえば、地域社会や教育機会そのものに影響が及ぶ可能性もあります。

 つまり、今回の「Fラン不要論」は、学びの「選抜性」と「包摂性」を重視する価値観がぶつかっていると言えるでしょう。大学教育を選抜装置と見るか、社会基盤と見るかの違いです。

「どんな進路を実現したか」が常に見られている立場的な苦しさ

 では、高校はこうした価値観の形成と無関係でいられたのでしょうか。現場の実感としては、そう単純ではないはずです。

 進学校であればあるほど、上位大学への合格実績が強く求められ、非進学校であっても、進学率や進学先は学校評価と無縁ではありません。保護者の期待や地域の視線も含めて、「どの大学に進学したか」は常に注目される要素です。

 その中で、「将来に役立つ進路か」「就職に有利か」といった観点が強調される場面も少なくありません。結果として、高校の進路指導もまた、偏差値と経済合理性の双方を踏まえた判断を求められる構造の中に置かれていると言えるでしょう。

 

大学入試は「ふるい落とし」から「マッチング」へ

 一方で近年、総合型選抜や探究学習の広がりにより、進路選択のあり方は少しずつ変化しています。大学側も、現時点での完成度や学力ばかりでなく、「どのような価値観や成長の軌跡を持った学生か」「入学後にどう成長するか」といった点に目を向け始めました。

 探究学習での学びを大学入試の素材とする大学が増えているのも、その意識の表れと言えます。大学全入時代と言われる現代において、(一部の難関大学を除き)大学入試は「ふるい落とし」から「マッチング」へと転換しつつあると言ってよいでしょう。

 こうした動きは、高校側にも「どこに受かるか」だけではなく、「何を学び、どう変わるか」という進路観を求めます。偏差値や経済合理性は重要な判断材料であり続けるでしょうが、それだけでは語りきれない進路の価値を、どのように生徒に伝えていくかが大切です。

高校の進路指導は何を手渡し、どう転換すべきなのか

 例えば偏差値60の生徒が、偏差値50の大学を志望していたとき、進路指導の現場ではつい「もっと“上”を目指したらどうだ?」というアドバイスを送りがちだと思います。もちろんそれは善意からくるものです。ただ、 “上”に進むことが絶対的な正解なのか、本当にそれが生徒の希望や未来に資するものなのか、そもそも“上”とは何なのか、などは考えてみてもよいのではないでしょうか。

 以前、関西圏のある私立高校の校長から、こんな話を聞いたことがあります。その高校では、主な難関大学や有名大学を抜粋して「合格実績」をHP上に掲載していました。まあ、よくあることですよね。しかし、それを見たある卒業生が寂しそうにこう言ったそうです。「先生、僕が合格した大学は、学校にとって“実績”ではないんですね……」

 彼の進学先は決して難関大ではないものの、専門性が高く、生徒本人が強く希望して選んだ大学でした。ショックを受けた校長は猛省し、HP上の実績掲示を偏差値や知名度で区切ることをやめ、大学名の50音順ですべて掲載するようにしたそうです。

 大学をめぐる議論が揺れるいま、高校の進路指導もまた、これまでの前提を見直す時期に来ているのかもしれません。大学の価値は、偏差値や知名度だけで語れるものではない――それが、これからの進路指導の重要な視点になっていくと思います。

 


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