この連載について
現代は「予測困難な時代」と呼ばれて久しいですが、学校教育を取り巻く状況も複雑化し、大小さまざまな変革が起こっています。本連載ではその中でも、高等学校の教職員に特化した教育ニュースを、報道だけでは見えてこない側面にもスポットを当てつつご紹介します! 教育現場の最前線に立つ教職員のみなさまにとって、お役に立つことはもちろん、今話題の・これから要注目になるであろう最新ニュースをお届けします。

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現代は「予測困難な時代」と呼ばれて久しいですが、学校教育を取り巻く状況も複雑化し、大小さまざまな変革が起こっています。本連載ではその中でも、高等学校の教職員に特化した教育ニュースを、報道だけでは見えてこない側面にもスポットを当てつつご紹介します! 教育現場の最前線に立つ教職員のみなさまにとって、お役に立つことはもちろん、今話題の・これから要注目になるであろう最新ニュースをお届けします。
朝日新聞のアンケートで「探究的な学びは必要か」という問いに対し、実に97.5%の教員が肯定的な回答を示したそうです。一方、同じ調査で、探究学習の指導に「自信がない」と答えた教員が約4人に1人(23.0%)いたことも明らかになりました*1。
その必要性についてはほぼ合意があるにもかかわらず、実践への手応えは十分とは言えない……このギャップは、多くの現場で共有されている実感ではないでしょうか。
これまでこの問題は、教員側の「経験不足」「研修不足」「認識不足」といった観点から語られてきました。いずれも重要な指摘ではあると思います。ただ、私はこうも感じるのです。「そもそもなぜ私たちは、探究指導に『自信が持てるはず』という前提に立っているのか」と。
学校教育において、教員が「自信を持って教える」ことは永らく暗黙の了解となっていました。教える内容を理解し、適切な方法で伝え、目標とする学習到達度へ生徒を導く――その過程において、教員の熟達度は確かに重要な意味を持ちます。
しかし、探究的な学びにおいてこの方程式は必ずしも成立しません。一定の指導セオリーこそあっても、探究は成果物に必ずしも明確な正解があるわけではなく、問いの設定や試行錯誤の過程そのものに価値が置かれる学びだからです。
そこに教え方の正解を当てはめることは、成果物に対しても正解主義的な影響を与えかねません。「このように教えれば、このような成果が出る」「正しい教え方をすれば、生徒は正解を再現できる」「求めた成果が出ないということは、教え方が間違っている」という理屈になってしまいます。
かと言って、生徒を完全に放置して自由にやらせてしまえば、それはそれで収拾がつかなくなり、学びの質が担保できません。結果、何をどこまでどんなふうに教員が介入すればよいのかという正解や目安が分からず、それが「探究指導に自信がない」「正解とされる指導法が知りたい」という不安に行きつくのではないでしょうか。

そう考えると、「自信を持って指導できる状態」を前提にしてしまうこと自体が、探究の性質と少しずれているとも言えます。むしろ、見通しが立たない中でどう関わるかが問われているのではないでしょうか。
冒頭で示したニュースも、そして私たちも、「探究指導に自信が持てない」という感覚を「課題」として捉えがちです。しかし、その先入観を疑ってみると、心持ちもいささか違ってくるかもしれませんよ。
もし、あらかじめ道筋が明確で、成果も予測可能であれば、それは従来型の「正解を教える授業」に近づいていきます。逆に言えば、自信が持てないのは「何が起こるか分からない学び」に真摯に向き合っている証。「探究指導の正解を知っており、自信満々で指導できる」と断言できるほうが、むしろ矛盾しているのかもしれませんね。
この点を踏まえると、「自信がない状態をどう解消するか」という発想だけでなく、「自信がない状態とどう付き合うか」という視点の重要性が浮かび上がってきます。
では、そのような状態で教員は何を拠り所にすればよいのでしょうか。私は、「すべてを見通して導く力」ではなく、「不確実な状況の中で関わり続ける力」ではないかと考えます。
例えば生徒の問いが行き詰まったときに、すぐに答えを与えるのではなく、どのような視点を加えれば次に進めるのかを共に考えること。あるいは、成果が見えにくい過程の中で、生徒自身が意味を見出せるよう言葉をかけること。こうした関わりは、必ずしも明確な正解を必要としませんし、そもそも正解を求めることができません。
だとすれば、探究において教員が発揮すべき専門性とは、「正しい道を知っていること」だけではなく、「道が定まらない状況を支えられること」にあるのではないでしょうか。
もちろん、研修や実践の蓄積によって一定の手応えが得られることは重要です。しかし、「自信を持てるようになること」を疑いなく唯一のゴールとしてしまうと、そこに到達できない教員は永久に不全感を抱え続けることになります。
それなら、「自信が十分でなくても関われる仕組み」を整えることも、一つの現実的なアプローチです。例えば指導の役割を分担する、外部人材や組織と連携する、校内で事例を共有するなど、個々の教員の熟達度に依存しすぎない設計はすでに各地で模索されています。
いずれにせよ重要なのは、「完璧な指導手法を手に入れる」ことではなく、探究指導の正解はないことを前提に「教員ができない状態でも回る形をつくる」という発想です。
このあたりの思想と実践は、先般、私が執筆協力で携わらせていただいた『探究が変わる、高校と大学のつながり ディスカバ! 高校生10万人の体験から見えたヒント』(学事出版/高原幸治・今村亮 著)でも詳しく紹介されています。よろしければご一読いただけますと幸いです。
探究的な学びが広がる中で、教員の不安や戸惑いは避けがたいものです。しかしそれを単なる課題として扱うのではなく、「探究とはそもそもどういう学びなのか」を考える手がかりとして捉えてみませんか?
自信がないことを克服すべき欠点と見るのではなく、不確実な学びに向き合っている証と見ること。その上で、どうすればその状態でも生徒と関わり続けられるのかを考えていくこと。
探究において求められているのは、すべてを見通す指導者像ではなく、不完全さを抱えながら、学びに伴走できる発想です。私も多くの学校現場を見てきましたが、「探究がうまくいっている」と言われる学校ほど、結局は先生方がその不完全に面白さを見出し、楽しんでいると感じます。あえて“正解”という言い方をするなら、それが唯一の正解なのかもしれませんね。
その前提に立ったとき、探究指導への不安は、出発点として、あるいは新たな可能性として、別の意味を持ち始めるはずです。現場の最前線で試行錯誤を続ける先生方に、大きな敬意と期待を抱いているからこそ、余計にそう思います。
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