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2026.09.16

第18回 「自分でやる」とは何か。入試で生成AIを使う時代の能力評価|Web月刊高校教育 深掘り!高校教師が知っておきたい最新教育ニュース

この連載について

現代は「予測困難な時代」と呼ばれて久しいですが、学校教育を取り巻く状況も複雑化し、大小さまざまな変革が起こっています。本連載ではその中でも、高等学校の教職員に特化した教育ニュースを、報道だけでは見えてこない側面にもスポットを当てつつご紹介します! 教育現場の最前線に立つ教職員のみなさまにとって、お役に立つことはもちろん、今話題の・これから要注目になるであろう最新ニュースをお届けします。

「AIを使ってよい入試」は、何を再定義しようとしているのか

 「大学入試で生成AIを使ってもよい」。そう聞くと、少し意外に感じるかもしれません。入試といえば、「自分の力で答える」ことが大前提だと考えられてきたからです。

 ところが過日、近畿大学情報学部が2027年度の総合型選抜について、自己PR動画の制作やプレゼンテーションの準備に、生成AIを活用することを認める方針を示しました*1。アイデア出しや構成の検討、スライド作成などにAIを使うことができ、活用した方法や工夫、そこから得た学びを自己PRに生かすことも認めています。

 一方で、選考では生成AIの利用の有無にかかわらず、受験生自身の能力、思考、独自性を重視するとしています。「入試でAI利用OKの大学が出てきた」というニュースはセンセーショナルですが、その話題性にだけ意識を奪われてはいけないでしょう。入試は、受験生の何を見極める場なのかが、改めて問われていると感じるからです。

「自分でやった」の意味が変わりつつある

 これまで入試の志望理由書や自己PRなどは、「本人が作成したかどうか」が重要な意味を持ってきました。本人ではない誰かが文章を丸ごと作り、それを自分のものとして提出するのでは、入試の前提が崩壊してしまいます。面接も「自力で書類を書いていないと答えられない質問」を投げかけるなどして、本人確認の場として機能していました。

 しかし、少し考えてみると、「本人が作った」という条件は、実はそれほど単純ではありません。私たちは文章を書くとき、本を読みます。インターネットで情報を調べます。先生に相談します。友人に読んでもらいます。文章の構成について助言を受けることもあるでしょう。プレゼンテーションを作るなら、テンプレートやソフトウェアも使います。

 人はもともと、完全に一人だけで何かを作っているわけではありません。それでも「本人が書いた」と言えるのは、最終的な判断や思考の主体が本人にあるからです。そう考えると、生成AIだけを特別扱いして、「AIを使ったから本人の力ではない」とすることにも、少し無理があります。問題は、AIを使ったかどうかではなく、AIを使って何をしたかなのです。

成果物の質だけで能力を測ることの危険性

 近畿大学の方針で興味深いのは、生成AIを単なる文章作成の代行者として扱っていないことです。AIを「思考を深化させ、アイデアを具体化するための『協働パートナー』として主体的に使いこなす実践力」を重視すると説明しています。また、選考では完成した成果だけではなく、受験生が何に関心を持ち、どのような工夫や挑戦を重ねてきたのかを自分の言葉で伝えることを求めています。

 ここに、学習(学力)評価における根本の価値観を考える示唆があると思うのです。例えば、AIを使って非常に美しいプレゼンテーションを作った生徒Aがいたとしましょう。もう一人は、資料のデザインこそ素朴ですが、自分で問いを立て、調べ、考え、試行錯誤を重ねてきた生徒Bです。

 このとき、AとB、どちらの生徒のほうが「能力が高い」のでしょうか。これまでは、完成した成果物そのものが、本人の能力を示す重要な手がかりになっていました。しかしAIによって、文章も画像もプレゼン資料も、かなり高い水準で作れるようになっています。そうなると、「何を作ったか」だけでは、その人が何を考えたのかが見えにくくなってしまうのです。

 だからこそ、「どう考えたのか」「なぜその方法を選んだのか」「AIから出てきたものをどう判断したのか」を見る必要が出てきます。入試が見ようとしているものが、少し変わり始めていると言えるでしょう。

 

評価の対象は成果か、プロセスか

 ただし、これを「AI時代だから生まれた新しい問題」と考えないことも大切だと思います。なぜなら教育には、生成AIが登場する前から、「成果物を評価するのか、それともプロセスを評価するのか」という問題があったからです。

 例えば探究学習で考えてみましょう。生徒が地域の課題について探究し、立派なプレゼンテーションを完成させたとします。しかし、その生徒が本当に問いを立て、情報を集め、仮説を修正し、他者の意見を聞きながら考えを深めたのかは、完成したスライドだけでは分からないものです。

 逆に、最終的な成果物がそれほど洗練されていなくても、その過程には豊かな学びがあるかもしれません。それなのに私たちは、ときに「きれいな成果物」を「よく学んだ証拠」として扱ってしまうことがあります。生成AIは、その問題を一気に顕在化させただけと考えるのが適切でしょう。

AIを使ったかどうかで評価を決める発想を手放す

 これと似た問題で、先ごろ文科省は、読書感想文の評価について「本当に自分で読んで書いたのか確かめるために、口頭発表などを取り入れるべし」との考えを示しました*2。そうまでして読書感想文を書かせること自体にどれだけの教育的意義があるのかはまた別の議論ですが、本質はこちらも同じです。

 そう考えると、生成AIを使うことを「本人の力ではない」として排除するより、その道具をどう使い、自分の思考をどう変化させたのかを見るほうが、入試も探究も、読書感想文も、本来あるべき学びの姿に近いのではないでしょうか。

 もちろん、AIが書いた文章をそのまま提出して終わり、では話が違います。だからこそ、「AIを使ったか」ではなく、「AIに何をさせ、自分は何を考えたのか」を問う必要があるのです。

これまで私たちは何を「能力」と呼んできたのか

 今回の近畿大学の方針は、情報学部という専門性を考えれば理解しやすいものです。大学側も、情報分野を学ぶうえでAIを適切に使いこなす力は必要な能力の一つだと説明しています。

 しかし、この考え方は情報学部だけの問題ではありません。これから先、AIを使わないこと自体が能力の証明になる場面は、むしろ減っていくでしょう。そうなれば、学校も大学も、「自分だけで何かを作れる人」を評価することから、「さまざまな道具や他者の力を借りながら、自分で考え、判断し、価値を生み出せる人」をどう評価するのかを考えなければなりません。

「自分でやった」とは、誰の手も借りずにやったという意味ではありません。誰かや何かの助力を受けても、自分で問いを持ち、選択し、判断する主体が本人であることを見取るのが大事になるのではないでしょうか。私たちは教育の中で、これまで何を「能力」と呼んできたのか。そのパラダイムシフトを、改めて高校教育に突きつけているのだと思います。

 

 

 

ライティングオフィス・トリガーワークス主宰。教育業界を中心に寄稿やコピーライティングを手掛けるフリーライター。主体性なく自堕落な若者時代を過ごした反省から、教育の価値や可能性を痛感、ペンの世界で教育への貢献を志す。高校改革を軸とした地方創生ムーブメント「高校魅力化プロジェクト」にも参画し、大学入試の志望理由書や小論文、キャリア教育の外部講師なども務める。広島県出身、大学進学に伴って長らく大阪で暮らしたのち、宇治茶の最大産地でもある京都府和束町にイナカ移住。妻と、特別養子縁組で迎えた息子の3人家族。

 

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